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津軽三味線の始祖は、「仁太坊」こと秋元仁太郎だ!

歴史人

f:id:ka-manekineko1955:20170214003143j:plain  金木八幡宮前の案内板に「仁太坊通り」とあった。調べてみると「仁太坊」とは津軽三味線の始祖 秋元仁太郎だということが分かった。津軽三味線というと高橋竹山を想い出すが、そのずっとずっと前に頑張った人だったのです。 

 

 

 

仁太坊は金木町神原の出身。

本名・秋元仁太郎は、江戸末期の安政四年(1857)7月7日、金木村神原に貧しい船渡しの子どもとして誕生します。 

 

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仁太坊は生後間もなく母を失い、疱瘡のため8歳で失明。さらに、11歳で父を失い、天涯孤独の身となりました。横笛・尺八、最後に生きる術として三味線をとり、上方から流れてきた盲目の女三味線弾きから手ほどきを受けるなどして修行に励み「坊様三味線」「乞食三味線」とさげすまれながらも、門付け芸人となり(各家を訪ね演奏し糧を得る芸人)「仁太坊」と名乗ります。 

 

21歳の時に『叩き奏法』を生み出しました。その個性的な奏法が津軽一円に知れ渡り、多くの盲目の少年たちが弟子入りします。以後、仁太坊門下八人芸、嘉瀬の桃(黒川桃太郎)や白川軍八郎らといった系譜が紡がれていきます。

 

仁太坊の一番弟子である喜之坊には、弟子の亀坊、赤坊、やがて木田林松栄へと繋がり、弾き三味線の長瀞の長作には梅田豐月(鈴木豊五郎)などの弟子がいて、高橋竹山へと繋がって行きます。 

白川軍八郎の弟子には三橋美智也さんもいて、今日に至っています。